昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

国内に広島市が2つ存在した瞬間があった

日記

年度初めだ。かつては年度初めにはその年に初めて粘土をこねる「粘土初め」という習慣があったが今はどこの企業でも実施していない。

エイプリルフール企画を未だに実施している企業がある。前世紀ぽいし惰性でやってる感じがしてここ数年は見ないようにしている。というか一般企業のエイプリルフール企画はもともとあまり見ていなかった。

アシリベツ

南区の奥の方にアシリベツの滝という滝がある。アシリベツは厚別の語源だ。それなのにアシリベツの滝と厚別区はかなり離れている。そもそも厚別区と南区は接していない。

そもそもアシリベツと呼ばれていた地帯は今の清田区付近で、そのアシリベツには厚別(アシリベツ)川が流れている。アシリベツの滝はその厚別(アシリベツ)川の上流にある。おそらく川の名前が最初だろう。そしてアシリベツエリアの少し下流の一帯が開拓され駅ができたときに厚別(アシリベツ)川の近くだから厚別駅にしようなったらしい。このときに初めて読み方がアツベツになってしまった。

なぜ漢字をそのまま読むことにした理由は解らないが、札幌には他にもツキサップに月寒という字を充てて後にツキサムと読むようになったなど同様の例がある。

後にその厚別駅付近が厚別(アツベツ)と呼ばれるようになり、平成元年には厚別区となった。全国で似たような例があると思うが、北海道には他に広島町の北の方に北広島という駅ができて、人口が増えたので市にする際に駅名の北広島市と名付けられたという例がある。

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中国地方にある広島県の簡略化された地図のイラスト(出典:いらすとや)

脱線ついでだ。広島町が市に昇格した際に、なんかの決まりで町から市になるときはそのままの名前を使うことになっているそうで、手続き的には広島町は一度広島市になりすぐに改名して北広島市になった。よって書類上は国内に広島市が2つ存在した瞬間があったことになる。

話を戻す。厚別川の名前も法的にはアシリベツ川からアツベツ川と読むと定められたが、清田区の人たちは今でもアシリベツ川と呼んでいる。

ノビール

チェルノブイリ改め「チョルノービリ」。実は「リチョノビール」のアナグラムになっていた。リチョノビールはなんだかわからないけど薬の名前だ。

「ついつい短くなってしまうリチョ、いやですよね。そんなときは小林製薬のリチョノビール」みたいな CM。リチョってなんだ。

その他

さっきの粘土初めの話。あれは嘘だ。