昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

ディジタル分断されていない

usage という単語は使いみちと使用方法の両方で使われる。不条理だと思う。

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自分はタピオカに憧れる気持ちを燻ぶらせたまま一度もタピオカを体験することなく死んで行くのだろう。でも自分が個性的であることが自慢なのか、なんだか斜に構えて流行を馬鹿にしている人がいるじゃないですか。そういう人は斜に構えて流行を馬鹿にしている人くせに少なくとも一度はタピオカを口にしたことがあるに決まっているのだ。どうせ。そんな人たちと比べたら、結局タピオカを死ぬまで体験しなかった俺のほうが何万倍もストイックで格好いいんだと思うのだ。

個性なんて屁みたいなもんだよ。

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「数に限りがあります」という但し書きをたまに見る。データならともかく「物」に関しては数に限りがないなんてことはありえないので、わざわざ言うことではない。その店にある全ての商品は例外なく数に限りがあるのだ。

だから「数に限りがあります」ではなくて「品切れになるような数しか用意していません」と言ったらどうだろう。

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ここ数年自宅でも会社でもトラックボールを使っている。トラックボールとマウスはそれぞれメリット・デメリットがあるが、自分の場合は手ががちゃがちゃ動くのがなんか格好悪いと思ってトラックボールを主に使うようになった。なれるまで数日かかったけどなれてしまえば快適に使える。

もともとマウスで手や肩が疲れるということもなかったのだが、トラックボールを使っているときの方が負担が少なくなったような気がする。気のせいかもしれない。

それまで使っていた、通称「イカの握り」マウスは出先での使用専用となっていたが、テレワークのため出先に行く機会もほとんどなくなり、使われることがなくなってきた。

今日、試しにマウスを使ってみたら、前ほど思ったとおりにマウスカーソルが動かせないことに気づいた。なれもあるし、メインで使っているトラックボールで丁度いいように速度を調整しているせいかもしれない。あんなに自分の手の延長のように使っていたマウスなのに。

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そういえば「噴飯もの」も誤用が少なくない言葉だ。怒りを表す言葉として使われていると推測できる例がかなり見受けられる。

ただ、この言葉は正しい意味で使っても「レベルの低さをあざ笑う」ために使われることが多いので、それを怒りの表現だと誤解されることが多かったのだろう。そのため誤用しても結果として意味が通じてしまうことがあり、これは完全に誤用であると判断するのが難しい。

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親とネットでやりとりできる世代はどれくらいからだろう。自分の場合、親は全くだめでSNSはもちろんメールでのやりとりもできない。同級生もほぼ同じみたいだ。おそらく親とディジタルで分断されていないのは40代なかばより若い人たちではなかろうか。

親とメールやLINEで連絡し合うというのがなかなか想像できないことで、なにか別の世界の人たちのように錯覚してしまう。自分は使えるのに。

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そういえば私が子供の頃、学校の生徒会選挙って会長・副会長に加えて書記も選んでいた。

今もそうなんだろうか?書記を選ぶのはソ連のまね?結婚してる?デビュー作は?調べてみませんでした。

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夕方になって会社からメールがありテレワークの延長が伝えられた。テレワーク自体に懸念点はないが、適用されている人とそうでない人の分断が長く続ことによる弊害が起きないよう心がけたい。