昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

言い換えれば「企業努力」

日記

雨が降っていたので東西線で出社。今シーズンの自転車通勤は7日のまま(7/10)。

勤め先がもう少し近かったころは雨の日でも上下の雨具・バッグカバー・シューズカバーを装備して自転車で通勤していたが、いまの距離だとリスクが大きいし、駐輪場に留めた自転車に雨具を掛けておきにくいのでやめている。正解だと思う。

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必要悪という言葉で妥協する人、あるいは妥協を強いる人というのはすべてその必要悪と呼んでいる対象から恩恵や利益を得ている人だから信用しちゃだめだよ。

3つのランプ・続報

"大きな荷台を持ったトラック"(出典:いらすとや)

昨日のトラックの上の3つのランプの件。1999年に法改正が実施されて廃止になったらしい。

廃止になった理由はいくつかあるが主に「国内独自の決まりのため海外からトラックを輸入する際の障壁となっていた」「当時の自動車免許取得者はランプの目的を知っていたが、免許を持ってない人には知られていなかったなめあまり効果がなかった」ためのようだ。

法改正から20年以上経過したので、当時に走っていたトラックの台数はもうかなり少なっただろう。

元弊社

元弊社は「A社のBシリーズのオプションに弊社製品が加わりました」「C社のDサービスの代理店になりました」みたいなプレスリリースをよく出しているんだけど、それがどれだけの利益をもたらしたかは謎のままだ。

決算を見る限りほぼゼロだろう。

爆弾の作り方

テレビで爆弾の作り方を解説していたのは、模倣犯が増え死傷者がでることでニュースの視聴率が上げることを目指しているためであって、それは言い換えれば「企業努力」である。

事件がもっと起きて犠牲者が増えるほどテレビ局の利益が増えるという仕組みがある以上、これまで通り模倣犯への親切が続くのだ。

そしてその仕組みを支えているのは視聴者だ。

それぞれ別の話

多くの冷静な人のスタンスはシンプルだ。「山上の存在に関係なく統一教会の問題は追求されるべきであり、元首相がどのような人物であっても山上の行為は許されない」。

事件を「敵を攻撃する道具」に使う愚か者にはそれが理解できないらしい。

偽善者は歌うよ

言葉の誤りかというと微妙だが、ツイッターで見かけた "偽善者ぶってる" というフレーズが気になった。

「ぶっている」というからには本当は偽善者ではないのだろう。では何者なのか?「偽善者ではない善人」の可能性が高い。

「純粋な善意からの行動だったが照れくさいので売名行為のために行っているふりをしている」のなら "偽善者ぶってる" と呼ぶに値するだろう。

もちろん単に "善人ぶっている" の誤りなのだろうけど。


それでは、また明日。