昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

去年もそう思った

日記

9週間毎の生活習慣病関連の検診を受けに朝早くから札幌駅方面にでかけた。

数字はほぼ横ばい。今回は腹部エコー検査もあり、胆石が見つかった。驚いてみたものの去年も見つかっていたらしい。すっかり忘れていた。その時も言われた気がするが症状が出始めない限り放っておいて良いレベルらしい。

"眼科の検査"(出典:いらすとや)

調剤薬局で薬を受け取ってそのまま年に一度の眼底健診に向かう。視力は少し良くなっていた。瞳孔を開く目薬を点し眼底を見てもらった。今回も異常はなし。また一年後。毎年受けるのを忘れていて数ヶ月づつ後ろにずれて行っている。来年こそはしっかり一年後に受けよう。去年もそう思った。

すべての検査を終え大通に向かい、テレビ塔の下の MEN-EIJI に行った。以前、開店時間の11時に行ったら開店時間が30分後にずれてたので行けなかった店だ。今回は11時半に行ったが、既に他の客が居たので11時開店に戻ったのかもしれない。あるいは前回がなにかの都合で変わったか。入り口で券を買い、このテレビ塔下の店のメインメニューであるタンメンを今日も注文した。辛い味の追加チケットも買った。タンメンはあいかわらずうまかった。可能なら月1回は来たいところだが、テレビ塔付近に出かけることはあまりないため数ヶ月に一度しか食べられないのが残念だ。

馬と芋虫

「うまかった、牛負けた」って母がよく言ってた。全国的に広く使われていたフレーズなのだろうか。

ツイッターに書いたら、京都と長崎でも聞いたという人からリプライを頂いた。少し推察が雑だが、北海道・京都・長崎で使われていたということは全国で使われていたと考えていいだろう。

一方、父は「ありがとう(蟻が十)ならイモムシゃはたち」って言ってた。元同僚は「イモムシじゃなくてミノムシだ」と言い張っていた。一つ確実に言えるのは、芋虫もミノムシも20年生きられないという点だ。

その他

いつも思うのだが、調剤薬局では薬を「受け取る」とか「もらう」と言ってしまう。実際は「買う」なのに。逆に調剤薬局でない薬局で市販薬を入手するときは「買う」としか言わない、なぜだ。私だけではないよね。

なにが格好いいと思ってるのか理解できないんだけど、自分のことを「ボクは天邪鬼なので」と自慢げに言う人がいる。天邪鬼というのは先に多数派が存在していないと何もできない能無しの事だ。天邪鬼というのは「平凡の劣化コピー」でしかない。

なんとかっていう小物顔の補佐官のおかげで久しぶりに「乱痴気騒ぎ」って言葉を見た。大切にしたい美しい日本語ですね。

ツイート経由で「"おじさん"を感じる顔文字 TOP10」という記事をちょっとみたんだけど、私の認識では顔文字を使う時点で若者だ。私が知ってるおじさんは顔文字を使わない。おそらく想像している年齢層が違うのだろう。