昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

枝にはそれができる

日記

9週間毎に行っている生活習慣病関連の通院。検査の数値は上がったり下がったり横ばいだったり。年に一度の計測となる骨密度と頸動脈エコーの値は良好。中性脂肪は正常になった。次回は連休にぶちあたるので10週間後となった。

検査と診察が早く終わり、このままだと9時半より前に薬の受け取りも終えてしまった。そうなると飲食店はもちろん一般の店舗も空いてない。仕方がないので駅前の広場で口を開けてぼんやりとするしかないかと思ったが、スターバックスなら空いてるではないかと駅の直ぐ側にあるステラ1階の店に行ってみたが旅行客の皆様で混んでいたので、駅から少し離れた店舗に行ってみた。

ゆらさんに頂いたチケットを使ってスプリングラテ+エスプレッソショットを注文した。見た目と味わいを楽しみながら飲み終えたものの、これまで店舗内でマグカップで飲んだことがないので(あるかもしれないけど忘れた)どこに返したら良いのかわからない。カップを持って徘徊したら置き場所が見つかった。

店が空いたのでレゴを見たり書店に行ってグラゼニを買ったあと、久しぶりにコロンボのカツカレーを食べようと思って開店5分前に行ってみたら既に15人くらい並んでいたので断念した。コロンボはそれほど大きな店ではないので、15人だと2周めの入店となってしまう。

私は飲食店で誰かが食べているのに早く食べ終われとばかりに外に並ぶという下品な行為が大嫌いなので、コロンボを後にしてテレビ塔地下まで移動し、札幌タンメン Men-Eijiでスタミナタンメンを食べた。鬼うまかった。鬼?

意思の枝

"細い木の枝"(出典:いらすとや)

森を歩くと気がけば木の枝を持っている。あれは自分の意思で拾ったのではない。枝に意思を操られたのだ。

枝の言いなりになり枝が行きたい場所まで移動してそこで手放しているだけであって、人間の意思はいっさい関与していない。

枝にはそれができるのだ。

民衆の昔

飲食店に対する犯罪行為が増えてくることは恐ろしいんだけど、その弊害としてもうひとつ「昔の日本人はこんなことしなかった」とか言い出す阿呆が湧いてくることも懸念している。

実際はその逆で、昔の日本人ならそもそも回転寿司など成立しなかっただろう。

一人称の篇

自分のことを相手から見た立場で呼んだことがない。

まず、親になった経験がないので「オトーサンは」と言ったことはないし、親になったとしても言わないかもしれない。また学生の頃、塾講師や家庭教師のバイトで「センセイは」といったことがないし、妹に「オニーチャンは」と言ったことも勿論ない。きもちわるい。

妹や弟に自分のことを「オニーチャンは」と言う人がいるのはフィクションの世界だと思っていたが、どうやら実在するらしい。これはもう怪談だ。

多分、甥や姪が居ても「オジサンは」じゃなくて「私は/俺は」と言ってると思う。特にポリシーがあるのではなくそう呼ぶことで年下の人たちにマウントを取ることが恥ずかしくて照れてしまうのだ。


それでは、また明日。