昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

ほぼ家から5分圏内だった

日記

昨夜見たタカトシランド琴似編はほぼ家から5分圏内だった。

朝のテレビでサウナをよく利用する芸人がサウナ初心者の芸人に正しくない行動を指摘するという企画見た。テレビなんで適当だったり大げさだったりするのは良しとして、良くないけど、それをぜんぶ真に受け、テレビの猿真似をしてベテラン気取りで指導する莫迦がきっといるのだろうなと思うと私は絶対にサウナになんか行きたくない。それ以前に私は腕と脚があれなんで行けないんだけど。

昼前に近所に買い物に行った他は家で過ごした。

昨日、チャパゲティが口に合わなかったと書いたが、なぜ私の口に合わなかったのか説明するのはなかなか難しい。まずいというのとはちょっと違ってて「おいしくない」のだ。どこかにマイナス要素があるんだけどそれがどこにあるかわからないし、プラス要素がひとつも見つからない。そんなおいしく無さだ。

音の方向

音の聞こえる方向(左右)は右耳と左耳に届く時間差によって認識しているらしい。ということは、頭が大きい人ほど左右の耳が離れているので、頭の小さい人より正確に音の方向が解るわけだ。

"勉強している象"(出典:いらすとや)

人の頭の大きさの違いなど微々たるものだが、象だったらどうだろう?両耳の間隔は人間とは比べ物にならないくらい離れている。人間なんかより遥かに音の左右が解るゾウとか思ってるに違いない。

その他

格闘技などの事前インタビューで「生きるか死ぬかの戦い」みたいなことを言う人がよくいるが、試合に負けて死ぬ人は少ない。実際は「生きるかしょんぼり生きるかの戦い」でしかないのだ。大げさな人たちだ。

サシハリアリという蟻は毒針を持っていて、刺されると銃で撃たれたような痛みがあるらしい。両方の痛みが似ていることが知られているということは、両方体験した不運な人がいる訳だ。お気の毒に。

アプリケーション開発で扱ったことのない機能の要望を聞いたときに「A それが実現できるライブラリを探す」「B その機能を実現するライブラリを作り始める」とでは圧倒的に A が正しい。私は B に流れがちだ。どこでまちがえたのか。春よ来い。

シン・ウルトラマン公開に伴う「シン〇〇大喜利」はもう出尽くしている感があり、私ごときが思いつくものはほとんど既に出ている。しつこくツイート検索してやっと0件だったのは「シン・あらし!三匹」「シン・おとぼけ課長」くらい。