昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

次の次が来てしまった

日記

昨日食事をしていたら右の肩あたりにねねの頭があった。ねねはもっと小さい。振り返ると高さ30センチくらいの小さな箱の上にちょこんと座っていた。以前はよくそうやってフクロウのように停まっていたのだけど、血栓で足が悪くなってからはそのように箱の上に座るのは初めてだった。麻痺していた両足はもう左右ともちゃんと動くし、たまに走ったりもする。まだジャンプはできないが自分の身長くらいの高さなら登ることもできるようになった。高いところに登る日も近いか。

ただ左足の動く範囲はまだ以前より狭くて、頭をかくことができない。痒そうなときに左頭をかいてやると届かないなりに左足がかきかきと動く。これが届くようになる日がくることを願いながら頭をかいている。

f:id:motomachi24:20210122222640j:plain 午前中に PC が届いたとの連絡があった。明日はもう使ってない大型のデスクトップ機の HDD 等を取り出したり、解体して置き場所を作る必要がある。大きすぎてゴミ袋に入れられないのだ。解体しても入れられない場合は引取を依頼することになる。そういえば、大きなデスクトップPCは床に置いてるんだけど、それってデスクトップでもなんでもないな。この大きなデスクトップ機は先日壊れて買い替えのきっかけとなった超小型 PC の前に使っていたもので、場所を取るから捨てようと思いつつ先延ばしにしていたら次の次が来てしまった。今度こそ捨てる。

地元の交通機関

札幌に住んでいると市営地下鉄とJRはそもそも軌道も車輪も全然別の乗り物なので、首都圏のようにそれらが直通でつながるというのは、たとえば路面電車とJRが直通になるくらい、想像しにくいことだ。他の地方都市はどうなんだろう。わりとフランクに繋がったりしてるのかな。

あと、札幌は私鉄がないのでいちいち会社名を頭につけなくても汽車(JR)、電車(市電)、地下鉄(市営地下鉄)で通じる。加えて JR と市電は「〇〇線」と呼ぶ必要がほとんどないので、「〇〇線」と言えば地下鉄という暗黙の了解があるような気がする。

JR は行き先で表すことが多く路線名をほとんど使わない。路線名を使うのは学園都市線くらいだ。しかも学園都市線は正式な名称ではない(正式には札沼線)。市電は環状なので、おそらくどちら周りかで表してると思うんだけど普段市電を利用しないからわからない。

実は

自分の話をするときに絶対に使わないようにしている言葉がある。「実は」だ。

「実は私はAなんですけど」という場合、相手は自分のことをAだとは思っていないことを前提としている。言い換えるとそれがAであろうがBであろうが相手が自分に対する予備知識があることを前提としているわけだ。それはない。多くの場合、相手は自分に対して 1mg も関心はないし一片の予備知識もないのだ。

「実は」を「皆さん御存知の通り」に言い換えると駄目さ加減が分かると思う。

もちろん「多くの人が自分のことを知らないことを解った上で自虐的に使う」のはありだ。

うそつき

オリンピックに限らず、1 「海外メディアが報道」2「国内の当事者が否定」3「後から海外メディアの報道通りになる」といったことが多い。

いつも2で嘘をついたことが責められないし、それが嘘だったことについて誰も責任を取らないのが不思議だ。嘘なんていくらついても構わないということなんだろうか。

不快

「不快にさせて申し訳ない」は「自分は悪いことはしていないけどお前らが自分のしたことを見て勝手に不快になったようだから一応謝っておく」という意味なので謝罪の言葉ではない。何をしたかではなくどう思われたから謝るってどういうことだ。

もし誰一人不快に思わなかった殺人犯がいたらそいつは許されるのか?

「不快にさせて申し訳ない」は「〇〇な人の気持も考えろ」が生み出したモンスターなんじゃないかと思う。自分の気持ちが尊重されないと駄々をこねるような人たちが捨てられなかった幼児性が生み出したとも言える。