昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

窮屈

いつもの日記に加え、ひとつ前に夢カンパニーのうろおぼえな歴史を書いた。歴史と行っておきながら年も月も書かれていない。

そういえば水曜から自転車通勤を再開したんだった。天候的には3月中旬から全然自転車で来れたのに、会社近くの駐輪場が12月1日から翌年3月31日まで閉鎖となるため自転車通勤も天候ではなく駐輪場で期間がきまってしまう。

「コロナの影響で売れ始めている」からの増産で、結果として在庫がだぶつく、という たまごっち現象 が起きそうな商品がいくつかありそうだ。Webカメラとか。

世帯というのは住居が同じであるかどうかは関係なくて、別々に暮らしていても同一世帯であったり、逆に同じ住居でも生計が別であれば別の世帯になるらしい。磯野家とフグ田家はおそらく生計を別にしてるので世帯は異なるだろう。よってマスクは4枚だ。

ネットではびっくりするくらい普通に「コロナ菌」という言葉が何の疑いもなく使われている。皆が専門家ではないのだから菌なのかウィルスなのかという細かいことは気にしなくて良いだろう。正しい言い方がすべてではない。もっと言うと「コロナ菌」という言葉を使ってたら少なくとも専門家の意見ではなく、あははと笑って読み飛ばせる適当で読むだけ無駄な文章だってことが分かりやすいので「コロナ菌」と言う言葉に疑問を持たない人はむしろ積極的に使って欲しい。

何かの記事を見てふと思い出した。旭川駅の読み方はかつて「あさひがわ」だった。旭川市は一貫してひらがな表記を「あさひかわ」としているので古い呼び名が残っていたわけではなく、何かの手違いで濁音になり、それが頑なに正されることなく使われてきたらしい。民営化の際にやっと「あさひかわ」になったのをなんとなく覚えている。

喫煙者にアンケートを取ったら「肩身が狭くなった」と感じている人が多かったらしい。それは通り魔が「人を刺しにくい窮屈な世の中になった」と言ってるのと全く同じだ。