昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

どんなものにも顔はある

日記

三連休の2日めだ。数学科出身の私の計算によると、この連休はあと12日で終わる。

それはそうと昨日の「逆さのビーナス」というタイトルは郷ひろみの曲のタイトルから取ったことに気づいた人はいただろうか。つまり、どうしたのついて来ないのかい?というメッセージが込められている。

午前中にだいずをワクチン接種のためにいつもの動物病院に連れて行った。加えて今年になって体重が落ちてきたことが心配なので血液検査もお願いした。あと爪切りも。

血液検査は半年前に行ったのだけど、そのときも今回も特に異常はなく、むしろ良好な状態だった。前回は甲状腺の異常も調べてもらったがそちらも正常すぎるくらい正常だった。原因は分からないままだが、とにかく元気で食欲もあり余っていておなかも下してないので、重篤な病気ではなさそうだ。20日くらい薬をのませて体重の変化を観察することになった。

昼食は昔からあるお気に入りの店に行ったのだがマスターが変わったようで、調理が雑だったり・厨房での会話が大声でまる聞こえだったり・咳が聞こえたり・店に入ったときにカウンターで煙草を吸ってたりとかなり残念な場所になっていた。値上がりもしていて、それ自体はしかたないとしても値段に見合ってるかと言うとちょっと疑問だった。

二度と行かないとまでは言わないが、近所で昼食を食べる店を決めるときの優先順位は下から2番めくらいになってしまった。マスターが代わったのではなく臨時の助っ人だったのなら良いのだが。

すもう

"とんとんずもう"(出典:いらすとや)

相撲取りの訃報を見るたびに思うのだが、子供が相撲という競技を選択するときに相撲取りは短命であるというリスクを説明しているのだろうか。

最低でも「普通の寿命まで生きられないことが多いけどやる?」って節目ごとに確認しないといけないのではないだろうか。大人なら「自分で選んだことだから」で済むけど、未成年に十分な情報を与えずに選ばせるのは誤っている。

また天王星

昨日の金星が逆さまになっている図に天王星を描いてなかった。天王星はこうだ。一応説明しておくけど、目や口は「こちら側を上とみなす」という説明のために描いたものであって、実際には天王星に顔はない。

98度

とはいえ私は天王星を直接見たことがあるわけではないので「顔はない」と断言してよかったのだろうかと不安になってきた。どんなものにも顔はある、天王星に顔があったっていいじゃないか。

真面目な話になるけど、上下を表すために顔をつけるというのは、実はあまり良い表現方法ではない。顔をつけることによって本来存在しないはずの「前後」も発生してしまうからだ。ではどうすれば良いのか?私には良い案がない。


それでは、また明日。