昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

コロンボと私

日記

浴室が改装されて、床が乾きやすい素材になったとともに、床面の高さも洗面所とほぼ同じになった。そのため改装前の感覚で浴室に入ると床が高いと思ってしまう。

2ヶ月に一度の生活習慣病関連の検査と診察に病院に向かう。いつもより5分くらい早く出たらちょうどバスが来ていてそれに乗ったら予約時刻の30分前についてしまった。おかげで採血等は早めに済んだが、診察の予定時刻は動かないので採血から50分くらい待った。結果はあまり良くなかった。

今日は比較的混んでいて待合室では立っている人もいた。そんなときでも待合室から診療や検査に呼ばれたときに、自分が座っていた椅子に上着や荷物を置いて場所をキープする人がいる。そんなことをするのは十中八百九百お年寄りだ。昭和ってそんな人ばかりだぞ。

帰りにビックカメラでネックスピーカーを買おうと思ったのだけど、試聴したら思っていたほどでもなかったので購入を諦めた。そのままコロンボに寄ってカツカレーを食べて帰宅。

コロンボと私

f:id:motomachi24:20211212104656p:plain コロンボは札幌駅の近くに古くからあるカレー店だ。私が初めて行ったのは40年くらい前だけど、店自体はもっと前からある。私が行ける時間はいつも混んでいるので「今日はコロンボに行くぞ」と決めて開店時を狙って行くことにしている。そのため年に2〜3度しか行けない。とろみが少なくそれほど辛くなくちょうどよい酸味が気に入っている。あと注文してからカツを揚げてくれるのが嬉しい。

コロンボでは必ず「カツカレー・ライスAでお願いします」と注文している。ライスAとは小盛りのことなのだが、コロンボは普通で大盛りなので、小盛りでちょうど他店の普通サイズのご飯となる。ご飯が多いとせっかくの揚げたてカツが遠くに行ってしまうような気がするのでカツカレーではあまりご飯を増やしたくないのだ。

またこの店ではルーが少なくなったときに店の人にお願いして継ぎ足してもらうという素敵なシステムがある。お願いしなくても店の人がルー足しますか?と声をかけてくれることもある。ハッピーなシステムではあるが、私はこの制度を利用したら負けだと思っている。店の人にルーを足しますか?と聞かれないためにルーの残りに少し余裕を持たせて食べているくらいだ。負けだと思う理由は2つある。

ひとつは「食べかけの皿が席とキッチンの間を行き来するのを見たくないから」だ。食事として美しくないし、恥ずかしい。

もうひとつは「出された料理というのは『どのようにして食べきるか』という問いであり、途中でルーを足すというのはその問いに対する敗北であるから」だ。出されたルーとご飯の配分に対して適切なバランスで食べられないのならカレーなんか食べなければいいと思っている。

コロンボにおける勝負ポイントはもうひとつある。「食後のアイスを断るタイミング」だ。この店では食後にアイスを出してくれるのだが、カレーの余韻がアイスクリームの甘みで消えるのが嫌で私はアイスは遠慮している。これをいつ言うかが難しい。混んでる店なのでいちいち覚えてられないだろうから、できるだけ食べ終わりに近いところで言うのが良いのだろうけど、食べてる途中で「アイスは結構です」と言いにくい。最初は注文時に言っていたが、それだとほぼ10割の確率できっちり忘れられる。これについては100%こちらが悪い。そこでカレーが来たときに言うことにしている。それでも6割くらいの確率でアイスが出てくるので、用意しているときにもう一度「アイスは結構です」と言うことなる。それはそれで仕方がない。

その他

ずいずいずっころばしの歌詞の「たわらの ねずみが 米くって ちゅう」って正しくは「ねずみが たわらの 米くって ちゅう」ではなかろうか?

上品な人はオミクロン株にも「お」を付けて「おオミクロン株」って呼ぶだろう。あとオオカミも「おオオカミ」って呼ぶだろう。オオカミに襲われたときは「おオオカミさん、お噛みにならないで」と抵抗するのだ。オオカミはオオカミで「おいしゅうございます」ってがぶがぶ。