森進一はそんなこと言わない「わんばんこ、森進一です」
日記
昨日の帰り、アピアの飲食店に観光客の皆様方が大勢いらっしゃっていてやたら混んでいた。もちろん雪まつりの影響だ。
今日は帰りにどこにも寄らずバスで帰宅した。私の降りるバス停とそのひとつ前のバス停では多くの人が降りる。私は出発地のバス停から乗るので窓際の席に座るのだが、あとから私の隣に座った人が、ひとつ前のバス停で空席ができたのを見てそちらに移ることが多い。そうかそんなに嫌か、なんかごめん。
教科書
「教科書が教えない〇〇」というタイトルの書籍や記事をたまに見かける。
「教科書が教えない」は根本的に甘えっ子の発想から出た言葉だ。そもそも教科書ってのは何も教えてくれない。私が人や教科書や検索やその他いろんなものから自力で学ぶのだ。口をあけて泣いていれば誰かが教えてくれるとでも思ったか。
人手不足
地元のバス会社では退職者や休職者が多く、いくつかの路線で減便となったらしい。
もしかしたら退職者が多かったのは客の理不尽なクレームが原因ではないだろうか。主に老人だ。
結果として客自身が減便により不便なめにあう。
選べない
「上司にしたい有名人」「親にしたい有名人」みたいな阿呆な統計をたまに見かけるんだけど、上司も親も選べないので「上司になって欲しい」とか「親だったら嬉しい」なのではなかろうか。
雪だるま
首都圏に雪が降ったときのニュースではだいたい雪だるまが映される。そういえば何年も雪だるまを見ていない。決まった道を歩くことが多く、雪だるまを作るような場所をほとんど通らないからだろう。
以前は冬にも自転車に乗っていたので見かけることがあったし、毎年よくわからないヒーローの雪像を作っている店もあった。
文が読めない
また醤油ペロペロの五番煎じみたいな若者が捕まって逮捕されたり退学になったりしているらしい。
どうして今までの実行犯が悲惨な末路をたどり家族ともどもこのさき一生なにも良いことがないまま絶望して生きなければならなくなっているのにそのようなことをしてしまうのか?それは「文章が読めないから」だ。
彼らはみな文章が読めないし聞いても理解できないので、事件に関して「結果こうなった」ことを説明した文章が理解できず「誰かが醤油ペロペロで注目された」ことしか頭に残らない。そのうえ誰かが一度やったことを真似して注目されることを恥ずかしいとも思わない。この先も同様のことをする若者はうじゃうじゃと湧いて来るだろう。
邦題がぜんぜん違う
"ロウフィールド館の惨劇" という小説の原題は "A Judgement in Stone" だ。邦題が全然違うしかなり安っぽい。お安いサスペンスドラマみたいだ。
この小説を原作とした "La Cérémonie"という映画があるんだけど、そちらには "沈黙の女" という邦題がついている。やはり邦題が全然違うしかなり安っぽい。
人々は忘れている。ねるとんの前にも別の紅鯨団があったことを。
それでは、また明日。