昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

300年かかった

日記

雨だ。明日も雨らしい。

永遠に続くような掟に飽きたらシャツを着替えて東西線で出勤。今シーズンの自転車通勤は75日のまま(75/112)。

帰りはバスターミナル消滅に伴い乗り場が赤レンガテラス裏に移ったおたる号に乗った。まず西4丁目通りを南下して北2条で左折。ここで逆じゃんと不安になるも西2丁目で右折して創生スクエア前を通り北1条で右折して市役所北側の時計台前で止まる。ちょっと遠回りになった。これがあと5年続くのだ。

赤:旧ルート、青:新ルート

札幌着のルートは時計台前のあと、北3条で左折してグランドホテルを過ぎたあたりで右折だろうか。ていうかどこで降りるのだろう。今度確認してみよう。

車関係

車を手放して20年以上経つので、カーナビゲーションを使ったことがない。そのころはまだ販売されていなかったからだ。

あと高速道路の料金を自動で払うエトセトラとかいう装置も使ったことがない。こちらは制度自体がまだなかった。

NGリスト

俺も質問できなかった。NGリストに入れられていたに違いない。質問できなかったどころか会場に入れなかったし、それ以前に会場に行ってもいない、もっと言うと開催されたことも知らされてない。俺はジョニーズに煙たがられている!

300年

"地動説を唱えたことで知られる16世紀の天文学者、ニコラウス・コペルニクス"(出典:いらすとや)

知り合いの天文関係の方から聞いた話。

コペルニクスが発表した地動説が、ニュートンにより定着するまで約150年かかったと言われているが、その時点では地動説が正しければ測定されるはずの年周視差が確認できなかったため、厳密な意味で科学的に証明されてはいなかった。

ベッセルが年周視差を測定するまでさらに150年かかったとのこと。つまりコペルニクスが発表してから確定するまで300年を要したことになる(正確には295年)。

コペルニクス的展開は一瞬ではなく300年かかったのだ。


それでは、また明日。