昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

十三支

顔認証がマスク有りでも通るようになっている。なぜだ?マスクによるのだろうか。

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「ドレミファソラシドで8音だからオクターブ」というのが納得できない。ドが2回入っているじゃないか。植木算で間違えるタイプだな。

それって「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥子で十三支」って言ってるようなものだ。

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馬鹿が進化論を雑に曲解して間違った内容で政党の宣伝に使ったことに対する批判について、責められた側は「ダーウィンも喜んでいるだろう」とコメントしたらしい。

やつら自分たちが有難い存在だと思っているのだ。

数十年前のテレビがそうだった。「ほらテレビだよ映してもらいなさい。良かったね」とテレビ側が映されている人に恥ずかしげもなく言っていたのだ。

あれと同じ無神経さだ。

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あるジャンルAで評価されて然るべき実績がある人が、別のジャンルBでとんちきなことを言うことがある。そのときに二通りの馬鹿が発生する。

ひとつは「本業Aの実績も否定する馬鹿」、もうひとつは「Bの間違いを指摘すると過去の実績Aまで否定されたと思う馬鹿」だ。

面白いのは前者はアンチで後者はシンパなのに発想が同じという点だ。人と業績を分けて考えられないのだろう。あと、間違いの指摘が人格の否定だと思っているという幼さも共通している。

五線譜は一音づつ数えないと読めない

Tux Guitar

先日ダウンロード購入したキラーチューン の譜面だが、全弦半音落としたチューニングにするのを避け、せっかく五弦ベースなんだから通常のチューニングのまま弾こうと試みている。

五線譜は一音ずつ数えないと読めない上にフラットが4つもついてる、TAB譜(押さえる位置が数字で書いてある)は半音落としたチューニングで書かれているのでそれぞれ数字をひとつ小さくして読まなければならない。どちらも一瞬では読めない。

仕方がないのでプリントアウトして数字を書き込もうかと思ったが、せっかくだからTAB譜が書けるフリーのアプリケーションでベース 譜だけを書き写してみている。最初は使い方に手間取ったが慣れるとある程度は楽に書けるようになった。もう少しキーアクセスが充実してるともっと楽になるのだが。

使用したのは TuxGuitar というアプリケーションで Windows 版やMacOS 版等がある。

嗜好は遺伝するか

「美意識」が全くのランダムではなく、人類全体である程度は共通項があるとについて「いま、多くの人が美しいと感じないものを美しいと感じる人が生き残れなかった」という説を高校生の頃に思いついて、何人かに話した。

例えば(雑な例だが)「石をぐちゃぐちゃに積みたがる」とか「毒々しい色彩の生き物に近づいてしまう」といった嗜好が先天的かつ遺伝的資質であるとして、そのような人たちは事故にあいやすく、子孫を残す前に死亡することが多いため、その資質は子孫に受け継がれる機会が減り、結果として残った方の嗜好が美意識を左右しているのではないか?という考えだ。

これにはわりと否定的な意見が多かった。自分もそれが正解とは思えなかったので否定されて安心した。

否定的な意見は主に二つ。1. そのような嗜好が先天的であるとは限らないのではないか。2. 美意識とはなんであるかに拠ると思うが、何かを危険だと判断する能力と美意識とはあまり関係がないのではないか。

思えば高校生の頃ってこんな馬鹿話ばかりしていた。

日付け変更線は何本あるのか

通常、日付変更線と呼ばれているのはひとつだけなので「1本」が正解で良いだろう。

ただ「この線の左右で日付が変わる」という線を日付変更線と呼ぶのであれば自明な日付変更線がもう一つある。現在23時のタイムゾーンと翌日0時のタイムゾーンとを分ける線だ。こちらは1時間ごとに自転と逆方向に移動する。この自明な日付変更線をカウントすれば「2本」が正解となる。

さらに細かいことを言えば、1日の中で両者が重なる時間が1時間ある。それも考慮に入れるなら「1日のうち23時間は2本、残りの1時間は1本」となる。

おそらく半時間ずらすタイムゾーンとかサマータイムとかを考慮するともっとややこしいことになると思う。

幻の五輪

東京が開催地に選ばれた時から始まって、ザハ案が潰されたときとか、ヘボいちゃちなロゴがパクリだと袋叩きにあったときなんかに「オリンピックは幻に終わる」と(願望も込めて)言い続けてきた。それが、別の要因とはいえ、現実になることが確実になってきた。

強く願えば叶うんです!(キラキラした目で)

またパンク

自転車で通勤。会社の手前あたりでまた空気が抜けた。タイヤチェックで見落としがあったのかもしれない。

パンクに強いタイヤへの交換を検討しよう。

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仕事中も帰りのチューブ交換のことを考えると気が重かった。あまり暗くならないうちに近場の公園まで押して、そこで作業しようかと考える。ただ、タイヤに何かが残っていた場合、家に着くまでにまた空気が抜けてしまう可能性が高いことを考えるとその案も心許ない。

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結局、帰りに道庁前の広場でじっくりタイヤをチェックして表側から刺さったガラス辺を取り除き、チューブを交換した。今回、初めてCO2カートリッジを使った。10cmにも満たない小さいボンベを使うと一瞬で空気を充填できた。使い方とかは動画で見て知っていたが、やはり使ってみたらありがたさが身に染みた。これは手放せない。予備もあるけどすぐに買い足そう。

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CO2 充填はひとつだけ欠点があって、通常の空気と違って数日で抜けてしまうらしいのだ。せっかく高圧のCO2で満たされたタイヤだが、帰宅と同時にCO2を抜いて空気を詰めた。

これでまた新品あるいは修理済みのチューブも在庫が尽きたので今週は、天気も悪いし、地下鉄通勤としよう。

開始30秒で羽が取れた

一晩たって自転車の空気は抜けていなかった。

今回は外出先でのパンクに備えた修理道具一式に入れてあったチューブを使ったので、新しいチューブを補充しなければ。

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昼は年に一度の冷製ウニスパゲティを食べにミアボッカに行った。ウニダブルにしてスパークリングワインを一杯ちびちびと飲みながら食べるのがまたうまい。冷製ウニスパゲティは夏を迎える前の儀式となっている。

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帰りにイオンでトンボの形のじゃらしを買って帰ったらだいずがやたら気に入ってしまい、開始30秒で羽が取れてしまった。妻が縫い付けて再び持たせたらしばらく一人で遊んでいたが後で見てみたらまた羽がちぎれていた。そんなに気に入ってくれたか。

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自転車屋に行き、チューブとパンク修理用の接着剤を買った。最近のパッチ(穴を塞ぐゴム)は接着剤がいらないものもあるのだけど、古いタイプのパッチの在庫がなくならないため、ずっと使っている。

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父に電話した。元気だった。以前は親にあまり電話してなかったが、今は一人暮らしなので妻に促されてかけることが多くなった。互いにあまり喋ることもなく、1分ほどで会話は終わったがかけて良かった。

突起物はなし

皮膚科は空いていた。診察券を出したら上着と帽子を脱いで時計を外して携帯と共に鞄にしまうのとほぼ同時に名前を呼ばれ、診療を終えてさっきの逆をやってる最中に会計で呼ばれた。

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帰宅後、パンク修理をしようとしたら修理キットの接着剤がなくなっていた。蓋のしめかたが甘く蒸発したらしい。新品のチューブがあったのでパンク修理はしないでチューブの交換だけで済ませた。

タイヤの内側も指先と目で確認したが突起物はなし。念のため一晩様子を見る。

部屋には修理を待つチューブがあと何本かある。修理済みのもあるはずだが、前の自転車で使っていたものも混じっていて、前の自転車のチューブは今の自転車ではサイズ(太さ)が合わないし、どれが修理済みかもわからない。そのうち太さと修理済みかで分類したいと思ったまま何年も経つ。

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チューブ交換のついでにホイールのリフレクターを外した。リフレクターは他に自転車本体や鞄にいくつかついているし、LED のフリッカーもつけている。ホイールにつける意味が今ひとつわからないが、つけることになっている国もあるらしい。

ついでのついでに本体裏側の汚れも落とした。購入時にオプションでガラスコーティングしてもらったおかげで汚れが簡単に落ちる。コーティングは傷防止が主な目的だが、汚れが落としやすいというのはかなりありがたい。

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夕食は近所のやまさ会館であれこれ。どれもうまかった。

リンゴは哺乳類か

ひとつ前に日記以外のエントリを書いた。珍しく長め。

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命題の誤用をリツイートするだけのツィッターアカウントを作ろうと思ったのだが、命題という言葉が出てくるツイートの大半が誤用なので、命題という言葉を正しく使ってる発言のリツイートをした方が楽だと思ってそこで止まっている。

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リンゴと哺乳類がともに明確に定義されているという前提で、

「すべてのリンゴは哺乳類である」
「すべてのリンゴは哺乳類か?」
「すべてのリンゴを哺乳類にしよう」

この中で命題と呼べるものがどれかわかる人だけが命題という単語を使いたまえ。

何度も言ってるが、言葉は生き物だというのなら無駄な殺生はおやめなさい。

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誰かと酒を飲むことを「酒を酌み交わす」って言う人は、その酒席が一般的な集まりより有意義で価値があると思っているように見えて嫌だ。「俺は上等なことを話してるんだぞ」みたいなくだらないアピール。馬鹿話もできないのか、つまらないやつだ。

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ライブの自粛が3ヶ月も続いたので、それまでお笑いや演劇をみることに使っていた時間ですることを他に見つけ、そのための金銭的な先行投資も行ってしまったため、今後再開したときには時間的にも金銭的にも余裕がないことが予想される。そういう人は少なくないだろう。

猫の頭をなでることが許されない世界の話

「A (よからぬことを)考える」「B 表現する(声に出す、文字で綴る、絵を描くなど)」「C 表現を自分以外の人間が参照可能にする(=公開する)」

この3段階の区別がついてない人がいるというのが嘆かわしいし、そんな人を相手に「どこからがいけないのか」なんて話ができるわけがない。

ただし、そんな人でもその先にある「D 実行に移す」と A〜C はさすがに区別がついてるようだ。

そこで穏当なたとえをしよう。「猫の頭をなでることが倫理的にも法的にも許されない世界」だと A 〜 D は次のようになる。

  • A「猫の頭をなでたいなあ」と思う。
  • B 誰もいない部屋で「猫の頭をなでたいなあ」と言ったり絵にしたりする。
  • C その言葉や絵を公開する。
  • D 実際に猫の頭をなでる。

前提としてこの世界では猫の頭をなでるという行為を見たり聞いたりすると不快になる人が大多数であるとする。

一般的には D はもちろん B や C も法や宗教で禁止されていることが多い。過激な思想を持っていたり自分の気に入らないものはすべて排除しないと気がすまない人は「A のような人間を矯正せよ」という考えを持っているかもしれない。ただそのことは C あるいは D の行動によって初めて知ることができる訳であまり効果は望めない。このことは B についてもほぼ同様で B 自体を禁止してもあまり意味はない。

C は実際のところもう少し細分化されていて、

  • C1 その言葉や絵を不特定多数の人に公開する。
  • C2 その言葉や絵を特定の集合に属する人に限って公開する。

の2段階があり、通常 C1 は無条件で禁止されている。C2 は例えば「実際には猫の頭をなでたりはしないけど、なでたいという願望を持っている人たち(愛好者)のコミュニティ」を対象に公開することで、こちらはおそらく人によって意見が別れやすいゾーンだろう。それは表現する人の問題だけでは済まなくて、表現の受け手であり表現者よりも数が多い愛好者コミュニティに属する人たちの行動も考慮する必要があるからだ。

C2 を OK とした場合、「特定の集合から漏れて不特定多数の人に公開されてしまう」「認識が甘く、本人は特定の人向けに公開したつもりでも誰でも見ることができてしまう」「表現だけでは満足できなくなった愛好者が実際の行動に移してしまう可能性がある」という問題がある。言い換えると C1 と D を誘発する可能性があることになる。

逆に C2 を禁止した場合は「表現があることで願望を代替していた愛好者たちが行動に移してしまう可能性がある」という点が挙げられる。こちらも D を誘発する可能性があるわけだ。

その表現を不快に思う度合いが強い人ほど「表現が行動を誘発する」と考える傾向があるのではないだろうか。結果としてそれは前段階である A や B から抑止すべきだという主張に繋がりやすい。

この「禁止しても許可しても誰かが猫の頭をなでてしまう原因になるかもしれない」というダブルバインドが問題をややこしくしているような気がする。おそらく人によって「表現が行動を誘発する」「表現が行動を抑止する」のどちらもありうるからだろう。

D の行動が取り返しがつかないものであるほど「どちらもありうる」は数の問題で済ませられなくなる。これはとても難しい問題だと思う。妥協点として「行動への抑止を強くする(罰則の強化・行動に移したことが見つかりやすくする等)」「特定の集合に属するためのハードルをあげる(年齢や資格等)」「不特定多数の人への公開が発生しないようにする」が実行されているが 100% の効果はあげられていない。

残念ながら完全な解決策はないのかもしれない。そのことが「面倒なことを言わずに A から取り締まれ」という人が現れる原因であることも心情的には分からなくもない。ただ、それは技術的にもコスト的にも大変難しいばかりか、先に述べたとおり実現できたとしてもあらたな誘発要因を発生させてしまう可能性があるだろう。猫には気の毒だが地道により良い方法を探って行くしかないのではないだろうか。