昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

失敗じゃなくて中止だよ

思い出すシリーズ:ゾーン539

日記

プレミアまないフライデーだ。

彗星の眼

前も書いたけど、慧眼を彗眼と書いているツイートをリツイートするだけのツイッターアカウントを作った(リンクはしない)。

大半の人は指摘されていることに気づかないか気づいても意味が分かってないらしくスルーされる。ただ今のところ「くだらない揚げ足取りはやめろ」と怒る人は皆無だ。

たまに「知らなかったありがとう」というありがたいリアクションもある。すぐに喧嘩が起きる昔のツイッターと雰囲気が変わってきているような気がする。

小学生の指

白石区の小学校で低学年児童が指を怪我したというニュースで、共同通信社は「児童が指切断」と言っていて北海道放送は「指の肉の一部が削げるなどしましたが、骨には異常がなく」と言っている。

適当か?

頓智の価

芸術と無縁な私には

頓智とか主張が芸術の価値として評価されている」

ように見えて仕方がない。

あ、バンクシーの話だ。

もちろん違うんだろうけどそう見えちゃう。

新型の次

5月になったら感染症法上の扱いが2類から5類に緩和されることに伴い、新型コロナと呼ばれている感染症は「コロナ2019」と呼びますと厚労省が言ってるらしい。新型コロナは新型ではなくなりつつあるから名前を変えるというのは根性のない発想だ。

新しいのが出てきたら「超新型コロナ」とか「超々新型コロナ」とか「ウルトラコロナ」とか「超ウルトラコロナ」とかどんどん名付ければ良いだろう。

失敗の義

ロケット打ち上げの件。

"ロケットが沢山の煙を巻き上げながら、発射台から発射されている様子"(出典:いらすとや)

「打ち上げ失敗じゃなくて中止だよ」って言ってる人たちの言い分は理解したけど、打ち上げが予定された時刻までにメインエンジンは点火されたものの固体ロケットブースターには着火しなかったという不具合があったので打ち上げを中止したのならそれを傍から見て「失敗」と呼んで何が悪いのかって気もしている。

例えば、当日の最終チェックで不具合が見つかったので打ち上げをやめたのなら中止と呼んでも違和感はない。「失敗」と「中止」という言葉を打ち上げる側の定義につきあう必要があるのだろうか。

極端な話「打ち上げと同時に倒れて爆発したけど、倒れそうになった瞬間に打ち上げを中止したから失敗じゃない」と打ち上げる側が説明したら「なるほど失敗じゃなくて中止だったんだね」と思う人がいるだろうか?

学術用語ならば専門家の定義に従うが、中止・失敗といった一般的な言葉に関しては「専門家が失敗じゃなくて中止と言ったからこれは中止」というのは気分的に従いたくない。少なくとも成功はしてない訳だし。

不登院の歴

ネットの道化が国会議員になってしまったけど登院しないことについて、ある記事で "憲政史上初「登院しない国会議員」" と書かれていた。

田中角栄は?

Wikipedia によると田中角栄は、1985年の衆議院議員任期中に "脳梗塞で倒れ入院。言語症や行動障害が残り、以降政治活動は不可能に" なったが、次の1986年の総選挙で "トップ当選。田中は選挙運動が全く行えず、越山会などの支持者のみが活動。自民党は圧勝。4年近くの任期中、田中は一度も登院できなかった。" と書かれている。

任期中に倒れて登院できなくなったまま議員を続けたことですらどうかと思うが、政治活動が不可能なことが解っている人を立候補させたり、その人に票を投じて当選させたりするのは頭がおかしいとしか言いようがない。

田舎がいかに駄目であるかがよく分かる。


それでは、また明日。