昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

主犯格が最初

皮膚科に行って、両腕両足背中の盛り上がっている湿疹に液体窒素を吹き付けてもらう。少しは良くなってきたような気がする。根気よく続けるしかなさそうだ。行くたびに「(この症状では)うちの患者さんで2番め、男性ではトップ」と言われる。

途中、液体窒素の補充を待ってるあいだ、これまで行った病院で同じ治療をしたかを聞かれた。前の前の病院で一回だけしかも比較のために片手だけに受けたことがあってそれなりの効果を感じていたんだけど、それをやったのが臨時の先生で、翌週いつもの先生がカルテを見て否定していたので、それを全部説明するのも面倒だし、前の病院のことを悪く言うのは気が引けたので、無かったと答えた。

ツイッターで見た話。コロナウイルスは目からも移ると聞いて、咳き込んでいる人とは目を合わせないようにしなくちゃと言った人がいるらしい。馬鹿げてるし差別の温床でもあるとは思う。ただ自分はそういうことが思いつかないってことに気付いて寂しくなった。呆れるとか嗤うとかじゃなくて寂しくなったのだ。

刑事ドラマでは、連続殺人犯はいちばん酷いことをした相手を最後まで殺さずに残しておいて、そいつ以外をすべて殺したあとで最後に本命を始末しようとするが、寸前で捕まることが多い。「どんなに酷いことをした人であっても殺してはいけない」という制作サイドの主張があるのかもしれないけど、その前に大抵の場合本命ほどではないけど酷いことをした人や目撃しただけの人が殺されてるのだ。制作サイドの主張は「一番酷いことをした人は殺してはいけないが、それ以外の人は仕方ない」じゃないだろうか。

逆に、主犯格が最初に殺されてどんどん末端に及んでいくという連続殺人事件は新しくないだろうか。面白くはないけど。

フェイスブックを見ていて気づいたのだけど高校の同級生は世界中に散らばっているが、中学の同級生は案外地元にいる人が多い。そして楽器の写真をフェイスブックにあげがちだ。中学は市内でもあまり良くない方の荒れた感じで、高校は卒業生の半分が大学や短大に行きもう半分が予備校に行くようなところだった。自分は暮らしっぷりは中学の同級生と変わらないけど、高校の同級生と同じように理屈ぽいことを書いてる。