昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

故意に接続詞を省く

"キュウリをかじる人"(出典:いらすとや)

私以外の国民に感動を与えてくれてありがとう!

日記

9連休前半の最終日。1/3 が終わるってことは連休のすべて終わったようなものだ。嗚呼。

泣いてばかりもいられないので昼はスシローに行った。ついてすぐは空いていたが徐々に人が入っていた。帰り際に目についた席では老人たちがイクラ軍艦のキュウリを何枚も残して皿に置いていた。キュウリを食べないと見せかけてもしかしたら後でまとめて食べるという叙述トリックかもしれない。

それは叙述トリックではない。

午後は明日届く機材を置くスペースを作るべく部屋を少し片付けたが、ケーブルの海と格闘しただけで終わった。残りは明日の私に押し付けた。

接続詞

私は故意に接続詞を省く傾向がある。二つの文の関係をあえて示さないことによる引っかかりが面白いと思っているからだ。接続詞がないとこの先私が何を言いたいのか読む人が予想しやすくなるという理由もある。省くこと自体を目的とするのは避けたい。

私は故意に接続詞を省く傾向がある。なぜならば二つの文の関係をあえて示さないことによる引っかかりが面白いと思っているからだ。加えて接続詞がないとこの先私が何を言いたいのか読む人が予想しやすくなるという理由もある。しかしながら省くこと自体を目的とするのは避けたい。

すべては無

「マイナス100万円の損失」という言い方が気にくわない。

「マイナス100万円の損失」という言い方をする人にとってそれは「100万円の損失」と同じ意味なのだろうか?

そうだというのなら「マイナス100万 = 100万」ということになる。両辺に100万を足すと「0 = 100万」だ。

すべてが無になる。


それでは、また明日。