昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

ルミネの件

「上司はひどい(違法だ)ね」「メッセージも前提がおかしいね」「何よりストーリーがつまらなすぎるね」ってのは多くの人が思っていることだろうし、私もそう思います。

ただ、映画やドラマでは「悪い人」が登場して悪いことをする場面が描かれることは異常なことでもなんでもないのに、CM に「悪い人」が出てくると感情的になって「見識を疑う」のはやはりおかしいのではないでしょうか。まるで CM に出てくる人物の言動がすべてその企業の考えであると錯覚しているかのようです。

いや、CM は映画やドラマとは違うという考えもあるでしょう。また、その上司に対する主人公の反発の方向も結局は上司と同じ穴のムジナではないかという意見もあるでしょう(これは私も若干そう思います)。たとえそうであったとしても「良くない考え・間違っている人・遅れている価値観」を数に頼った圧力で表舞台から消して反省させようという動きには明確にNOと言いたいです。それは、然るべき権威が「これはこうあるべき」と明言した範囲から外れているものに石を投げる人たちがやっていることと寸分たがわぬ行動だと私は考えます。

そういう人は「加害者は被害者が納得する方法で謝るのが当然である」と思っているかのように振る舞う傾向があるような気がします。謝罪の方法が自分の意にそぐわない場合には、謝罪した側に100%非があるかのように抗議をするのはそのためではないでしょうか。もちろん被害に対する保証はされるべきですが、そのことは決して「被害者は被害者であることを以って善である」という意味ではありません。この「被害者は正しい」という風潮は、ミスのあった店員さんに土下座させる客の行動原理となっている大変危険な考えであると思います。