昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

それがなきゃいい人なのに

日記

免許更新のために午後半休を取った。

中央警察署の免許更新センターは、空いてる午後の受付が推奨されていのだが、行ってみたらそれなりに混んでいて最初の受付で20分くらい待たされた。朝だったらどれだけ混んでいたんだ。ただ最初の受付を済ませばあとはそれぞれあまり待つことなく進行する。更に全国1道3県で試験的に実施されているオンライン講習を受けてきたので、講習なしで受け取れた。

受付から免許受け取りまで、全ての工程でボトルネックとなっているのは爺さんたちだ。今後の社会では爺さん対策をしっかりするか、これから爺さんになる私達がシステムに馴染み続けることを放棄しないか、おそらく両方が求められるだろう。

免許を受け取って入り口に戻ると受付にはほとんど人がいなかった。次は14時半くらいに行くことにしよう。5年後なので忘れているだろうが。

勤め先で自分のダウンジャケットが分からなくならないよう、ポケットに紙屑を入れている。

夜はひつじっ子に行ってジンギスカンをやまほど食べた。

逃避行

先日、歌詞に汽車が登場する歌についてツイートしたところ、麻生よう子の逃避行には汽車が5回でてくると教えて頂いた。タイトルを見ただけでは思い出せなかったが、聞いてみてどんな曲か思い出した。ひどい男がでてくる歌だ。昔の歌はひどい男だらけだった。

それは置いといて、歌詞の内容以上に独特の区切り方をするフレーズが面白かったことが印象的だった(忘れてたけど)。それは「また空いた汽車を空いた汽車を見送った」という部分だ。

意味的には

また/空いた汽車を/空いた汽車を/見送った

であり「空いた汽車を」を繰り返すことで「また」が強調されているのだが、歌としての区切り方は

また空いた/汽車を空いた/汽車を見送った

と歌っているのだ。ちょっと油断していると意味が受け取れない区切り方だ。リンクはしないけど動画検索するとすぐに見つかるので興味を持った方は聞いてみて。

盲腸

"盲腸や虫垂炎などにより酷い腹痛に苦しんでいる人"(出典:いらすとや)

いまは盲腸の手術でそんなに切らないらしい。私のとき(1982年)は半身麻酔で5cm以上切った。一週間くらい笑うだけで痛かった。くしゃみが一番痛かった。

星新一が書いてたけど「虫垂炎で入院」というのは正確ではなく、虫垂炎は手術終了時に全快していて、その後の入院は手術によってできた傷の治療だ。

関係ないけど1982年に入院したとき私は高校3年だった。その翌年くらいに私が入院した病院に母が勤めることとなり4年後には妹も高校3年で盲腸の手術を受けた。妻が口腔外科の手術を受けたのも父が最後に入院したのもその病院だった。

その他

何度でも言う。「匂う」は自動詞だ。「匂いを嗅ぐ」という意味はない。

テレビは「見ることによって最も利益をもたらしてくれる人たち」が一番楽しめるように作るに決まってる。テレビがつまらなくなったと思うのはその人がテレビ局にとって有益なメインターゲットじゃなくなったということ。悪い友達と手を切ることができたと喜びましょう。


それでは、また明日。