昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

香典の金額は偶数

日記

昨夜は録画してあった「初恋の悪魔」の最終話を見た。初期からずっと追っていた件の犯人が開始20分で捕まるという珍しい展開。面白かった。この番組はたまたま初回放送前に見た予告編が面白かったので見たのだけどタイトルしか知らなかったら見なかっただろう。

好天につき自転車で出社。今シーズンの自転車通勤は81日め(81/113)。

記憶

海外移住した人が歳をとると第二言語を失ってしまうことがあるらしい。これは老人が古いことだけ覚えていて新しいことを忘れてしまうのに似ているような気がする。

いま起きた事に関する記憶というのはいま記録された事でできているのではなく、過去の蓄積からの差分やらなんやらでできているので、新しい出来事の記憶というのは元々脆い物なんじゃないかと思っている。素人考えで恐縮だが。

雑にいうと同じことを体験しても若い時は起きたことの大半を記憶に変える必要があるけど、歳をとると手持ちの記憶の在庫と比べて新しい体験だけ覚えるというイメージ。だからひとつの体験に使うメモリが少なくなっていく。そんな単純な話ではないだろうけど。

その他

A「データが記録された媒体のやり取りで入手する/データそのものを通信により入手する」を表す言葉として「アナログ/ディジタル」が使われつつあるので、それが定着する前に A を表す言葉が必要になっている気がする。

昔の映画人がわざとカメラをキャメラと呼ぶ件。私が真っ先に思い出すのは、欽ちゃんのどこまでやるの!で放送されていたフィルム会社のCM での真矢順子だ。台詞は覚えてないが確実にキャメラって言ってた。

内向的、インドア派、人付き合いが苦手と公言してる方々の方が、自分がそうだとは思っていない私よりも外向的であちこちに出かけていて社交的に見えることがある。気のせい気のせい。

「私の周りには賛成してる人はひとりもいない」というの極端な意見を言う人は、そもそも反対している人にしか聞いていないのだろう。これは反対と賛成を入れ替えても同じことが言える。

元首相の場合、弔砲は19発らしい。その下のクラスだと17発とのこと。もしや素数にしてるのかと思ったら国家元首は21発なので違う。偶数にしないのは香典(の札の枚数)みたいだ。

"飛んで行くお金"(出典:いらすとや)

それはそうと私達は「香典の金額は意図的に非常識的な金額にしない限り常に偶数である」ことを忘れがちだ。5千円も1万円も3万円も偶数、奇数なのは札の枚数だ。とは言え、もしかしたら地方によっては「1万5円」にする風習があるかもしれないのでありえないとは言わないでおこう。土着の因習は侮れない。

国葬が日本の歴史に残る汚点になるとは思えない。そんな立派な行事じゃないからだ。来週にはみんな忘れてる。