昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

東京時代

日記

帰りに雑誌を買って帰りたかったので東西線で出社しようと思ったが、家を出る時刻が遅くなったので自転車で出社。自転車の方が10分ほど早くつく。今シーズンの自転車通勤は51日め(51/71)。

昼はいつものセイコーマートに行ったが弁当がほとんど売り切れていたので道庁の地下食堂に行ってつけ麺を食べた。つけだれがちょっと塩分過多だった。

帰って聞いた話。毎月アマゾンから缶入りの飲み物を一箱買っている。いつもは玄関先に届くのだが、今日は宅配ボックスに入れられていた。

ずっとインターホンが鳴るのを待っていたので聞き逃した訳ではないとのこと。ここで、そもそも重さ的に宅配ボックスに入れて良いのかという問題がある。

で、その届いた箱の一部が破れてむき出しになっている缶があったらしい。箱には箱損傷のため事故扱いという紙も貼ってあったとのこと。つまりいつものとおり玄関まで持っていくとその辺りのやりとりをしなければいけないので、面倒になってインターホンも鳴らさずに宅配ボックスに入れて逃げたのだろう。

妻はアマゾンの配達状況確認でボックスに届いていることを知って缶がこぼれ落ちそうな重い箱を宅配ボックスから回収し、アマゾンに連絡したところ同じものが送ってもらえることになったらしい。破損した分に関しては送り返すと言ったが向こうも面倒なのかこちらでなんとかすることに落ち着いたらしい。

運送会社はあの会社やこの会社よりもずっと信頼していたルーシーみたいなロゴの会社なんだけど、やはり荷物が多くて大変なのかこのようなミスとずるが多くなってきた。ただ、この件で働いている人のことを責めるつもりはまったくない、むしろ利用者とともに被害を受けている側だと思う。利用者の送料負担を見直す時期に来ているのかもしれない。

東京時代

日本の歴史の「〇〇時代」は首都のあった場所で区切られるので明治以降はずっと「東京時代」となる訳だけど、この先天変地異でも起きない限り東京から首都が動くとは考えにくいので、江戸より後ろは別の分け方が必要になるのではなかろうか。

首都移転で思い出すのは「新首都、東京から東濃へ」の看板だ。あれはまだあるらしい。間違って移転が実現したら初めて明治以降が東京時代として認識されるようになり、東濃時代が始まる。

何年か前に首都移転や首都分散が話題になったけど、首都移転や分散というのは深刻な問題がそれほど多くないときに出てくる話ではなかろうか。あるいは首都機能が本格的に限界を迎えそうな時か。いまこの状況で「そういえば首都移転どうする?」とか言っても「この大変なときにふざけるな」と怒られそうだ。

首都移転の移転先候補の人たちが主張する「現在の首都圏集中によるリスクやデメリット」に関してはある程度説得力があるけど「だから〇〇に移しましょう」についてはどこもメリットをそれほど挙げられないので説得力がまるでなかった。それでもたしか2つか3つに絞られてそのままフェードアウトした記憶がある。

その他

インスタグラムでハッシュタグ cat をフォローしたら、微セクシーな画像がタイムラインに流れるようになった。昼休みや乗り物の中だとちょっと恥ずかしいのでフォローをやめた。猫だけのハッシュタグはないのか。

"女性の面接官によるスーツを着た男性就活生の面接"(出典:いらすとや)

面接官「当社を志望した動機は?」
大物就活生「ほう、なかなか良い質問ですね」

♪ ちゃんちゃかちゃんちゃん ちゃちゃんかちゃんちゃん ちゃんちゃかちゃんちゃん ちゃちゃんかちゃんちゃん 内閣主催の葬式と思ったら〜 国の主催でした〜 コックソー

みかじめ料」って漢字表記だとどうなるのだろう「御架締料」だろうか?と思って調べたらどうやら「見ヶ〆料」のようだ。

「〇〇さんは尊敬できる人です」という言い方がなんか無理して尊敬してるみたいでいつも気になってしまう。「嫌なら尊敬しなくて良いんだよ」と言ってあげたい。

機械やプログラムを「この子」と呼ぶのが私はかなり苦手なのだけど、通話系サービスを作っているとそれとはべつに「このコ」という言葉を使うことがある。ここでの「コ」は「子」ではなく「呼」だ。

仕事中にスマートフォンを操作していても PC と違って仕事している感じがあまりない、むしろさぼっているように見える。ただ、両手に持ったり2台並べて使っていると急に仕事ぽく見える。逆に言えば2つ並べてひとつでゲームやってても仕事してるふりができるのかもしれない。