昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

そう、フラクタルです

日記

昼に買い物に行った他は家に引きこもっていた。

散見

ときどき "数多く散見する" という言い方を見かけるが散見している時点で数は多いことは確定しているので "数多く見られる" または "散見する" で良いのではないだろうか。矛盾はしていないけど冗長だ。

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最強の矛と最強の盾がぶつかった様子

数が少ない散見があったら見せてみろってんだ。

それはそれとして、「散見する」は自動詞で「物自体がそのような状態に(=多く見られるように)なる」ことを表すはずなので、厳密に言えば受動態の「散見される」ではなく「散見する」を使うのが正しいのではなかろうか?と思って調べてみたところ、概ねそうだけどどっちも使われてるからいんじゃね?ってことのようだ(曖昧)。

偉い偉い

なんか昨日辺りからツイッターサイゼリヤデートに関する意見が多い。だいたい似たようなことを言っている。

うんうん分かった。サイゼリヤは偉い。それについてあれこれ同じようなことを言ってる見知らぬ君たちもきっと偉いんだろう。あー偉い偉い。君たちが偉いってことは分かったからもう黙ってみてはいかがかな。と思った。

ツイッターのタイムラインでは何かが流行して、その末期を迎えると「それはもうツイッターじゃない別のどこかできゃんきゃん吠えとけよ」としか思えないくだらないツイートが流れてくることが多い。ということは自分も気づいてないだけでそういうツイートを垂れ流しているのだろう。それを見て知らない誰かが「はいはい分かった偉い偉い」と呆れているのだろう。

人という字

「人という字はヒトとヒトとが支え合っているのですが、よく見るとその支え合っているヒトも人という字になっています」
「先生!それはもしかして…」
「そう、フラクタルです」

「犬という時は人と人が支え合ったまま地面に埋まっていて、そのうち一人だけが頭を出していて、その横に犬のフンがあるという状態を表しています」
「先生!その意味は」
「特に意味などありません」