日記
久しぶりに実家(空き家)に行って凍結した水道を融かしたり水を落としたり雪かきしたりしてきた。自分は集合住宅に住んでいて車も持っていないのでこちらでは雪かきをすることがまったくない。こうやってたまに雪かきをすると腰への負担が大きい。筋肉痛になりそう。
帰りに札幌駅で降りて昼ごはんでも食べようとおもったが、駅周辺はどこもとんでもなく混んでいたので、あきらめて玉藤で弁当を買い家で食べた。帰りのバスは高速ニセコ号で少し混んでいて立っている人もいたんだけど、その中の一人がコボちゃんを読んでいた。ニセコ号で立ってコボちゃんを読む人を見る年末はもう一生来ないだろう。
いやし
「癒やし」という言葉が日常的に使われる様になったのは比較的近年のこと(せいぜい20年以内)だと思うんだけど、そのきっかけはなんだったんだろう?「癒やし系」だろうか?「癒やされる」はあったが、それは元々「(心が)癒やされる」だったし、それだって「傷が癒やされる」からの派生だろう。
「癒やし」という言葉に私が馴染めないのは、何が癒やされるのか分からないという点も大きい。そもそも傷がなければ癒やされることはできないじゃないか。その傷抜きに癒やされたことだけ騙られてもこちらはどうすればよいのだ。たとえば「カピバラののんきな表情を見て癒やされた」としても癒やされたのはどんな傷なんだ。わけも分からず使われるカピバラだって迷惑だろう。