日記
今日もほぼ家にこもっていた。
居間で昨日あたりからずっと聴こえる音があって、その音自体はなんの支障もないんだけど、音が鳴っている理由が解らないと確認せずにはいられない。あちこち調べて、猫の新しい給水器の水が少なくなったときに内部で水が落ちる音だと分かった。
ちょいカツオ
ポケモンで「カツオのギター」ほどではないけどちょっと変なギター(カツオのギターとは、漫画・アニメーション・ゲーム等に出てくる物理的に演奏が無理な構造のギターのこと)を見つけた。
フレットがブリッジまである。途中でフレットの間隔が広くなる。11フレットにポジションマーク。巻き取り部分が弦と平行に一直線に並んでいる。
好意的に見れば22フレットからブリッジまでの不要なフレットはフレットに見えるだけで、ボディに描かれた模様かもしれない。11フレットにポジションマークがあることについてはそのように作れば可能だが、演奏に困るだろう。
カツオのギターを見つけることの目的は「どんなジャンルであれ、詳しくない人や興味がない人が描いたら構造的におかしなものを描いてしまうことがある」ことを指摘することにある。「これ描いた人はギターのこと全然知らない」と文句をつけるつもりはない。私だってスケートシューズの絵を描いたらおよそ滑ることが適わないスケートシューズを描いてしまうだろう。そもそもスケートシューズに見えるかすら怪しい。
またデフォルメにまでけちを付けるつもりはないし、「このファッションの人がこの形のギターを弾くのはおかしい」「この時期にこのメーカーの製品はない」という知識ベースの指摘をするつもりはまったくない。これはそういう世界を描いたフィクションだと言われればそれまでだからだ。村上春樹も「誤りの指摘は直すこともあるけど、たとえば『ワーゲンにラジエターはない』という指摘に対しては、これは『ワーゲンにラジエターがある世界』の話なので修正しない」と書いていた気がする。
一方、構造的におかしい絵はまるで違う。演奏が不可能、音がでない、音階がめちゃくちゃになるといった構造的におかしいギターを作品内の世界で正当化したいならその世界の物理法則まで作らなければならない。
その他
昨日のドラフトコントもそうだったんだけど、最近の賞系お笑い番組は観客(なぜか女性ばかり)がみな同じ服を着ていることが多い。マスクも同じだったりする。あれなんなの?
セルフカバーは嫌いじゃないんだけど、セルフカバーの方が売れるのは仁義としてどうかと思う。例えば AがBに提供した曲がリリース(1) → しばらくしてAがその曲をセルフカバーしてリリース (2) → (2) の方が売れて、その曲と言えば多くの人が A のセルフカバーの方を思い浮かべるようになる、というパターンだ。