昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

「すべてかゼロか」式の反論

日記

昨夜はワインを少しとハイボールを飲みつつアメトークの絵心と iPhone スペシャルを見た。絵心は笑いっぱなしだったしiPhone は役に立った。テレビもまだまだ安泰だ。

技術的な問題で「そんなこともわからないと思われてるのか」というレベルのことを指摘される人は、実際のところ「そんなこともわからない」と思われているし、そう思われるだけの言動が過去にあった人だと思って間違いない。嘆く前に振り返れ。

今日はまた昼食を豆腐バーにした。やはり物足りない。量は足りてるのだけど味とか炭水化物感とか。

なぜか何もしたくなくて手が進まないときは「まずやることを考えてそれを書き出す。そしてやる順番を決めて、必要な項目を洗い出し、準備に取り掛かる。」ことを想像するだけで何もしたくなくなる。どうすればいいのだろう。

実用的な話をすると、なにもしたくないときは単純作業をするようにしている。

絵が苦手

自分も含めて絵が苦手な人は、外周を線で囲うことが絵を描くことだと勘違いしているような気がする。まずは「違う色が塗られるならそれぞれが閉じた線になるように描く」ことから始めると良いと思う。← 主に自分に言ってる。

f:id:motomachi24:20210317232526j:plain それができて初めて前後関係を考えることができる。どれが手前でどれが奥にあるかが理解できれば、どれを先に描くのかが解ってくるはずだ。← 主に自分に言ってる。

個々の部品の形の精度を上げるのはそれができてからだ。← 主に自分に言ってる。

数の問題と反例

制度を変えることに対して「今ある制度を変えたらこんな悪いことになる」と反対する人に対して「現行制度でもそんな悪いことは起きていた」と反例を示すのは逆効果だ。

制度を変えることに反対している人達は「制度を変えることで、これまで維持してきた価値観が失われる機会が増え、結果としてこんな悪いことが起きる割合が増える」と言っているのであって、彼らもこれまで維持してきた価値観が万能であるとまでは言ってない。

よって制度を変えたい人達が「過去にもこんなことがあったけど、それはこれまでの価値観が万能ではなかった証拠ではないか」と反例を提示しても「もちろん万能ではない。過去にそういうことが少数例としてあったが、それは制度があったおかげで少なかったのであって、制度を変えたら増えるだろう」と返してくるだろう。

数の話をしているときに「すべてかゼロか」式の反論は意味がない。

最近気づいたんだけど、私は「手で3を表す(親指で小指を押さえて残りの3本を立てる)」ことが右手でしかできない。左手やろうと思ったら、右手で小指を曲げてその上から親指で抑えないとできないし、できても指のあちこちが痛む。なぜだ。

いろいろこねくり回していたら左手の小指の可動範囲が狭くて左手の小指が短いことが解った。それだけではなく、薬指を右手で伸ばしたままに固定すると小指が曲げられない。これだは3は無理だ。ギターやベースが下手なのもこれが原因かもしれない。

無在庫売買

今日見かけた面白い事例。

AさんがXを出品 → 転売屋Bが写真や文章を丸写しでBの儲けを上乗せして出品(売れたらAさんから買って送る無在庫出品)→ Aさん自身が転売屋Bの出品をみつける → Aさんが自らXを落札(この時点でBはXを持っていないし、Aさんは入札したXを持っている)→ 落札と同時にAさんがXの出品額を数倍に値上げ。という流れ。

転売屋は適当な理由をつけて逃げるだろうけど。