GoTo 政策の基本精神は「アメリカさんがあんなにコロナの流行で苦しんでいるのに、日本の感染率が低かったらアメリカさんに申し訳ない。なんとかして感染を広めなければ。そのために人をどんどん動かそう」という和の心だと思う。
嗚呼、日本は良い国だなあ。
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以前、ビートルズやクイーンの LP がデアゴスティーニから発売された。次はレッド・ツェッペリンじゃないかと予想したものの続くシリーズが発売される気配がないのが残念だ。
ツェッペリン以外にも LP の形で所有したいのは YMO だ。あの一連のジャケットは LP サイズが断然いい。
というか LP 前提の時代のアルバムのジャケットはあのサイズが良いのが当たり前で、逆に CD でしか発売されなかったアルバムのジャケットを LP サイズにしても間が抜けた感じになるのではなかろうかと思う。
サイズというのはただの量ではなく質でもあるのだ。
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ツイッターでは無料マンガサイトの宣伝ツイートが多い。無料マンガサイトは見ないのだけど、宣伝ツイートの絵を見てみるとどれもどこか物足りなく感じる。うまいか下手かではなく世に出す前の途中段階みたいな印象。
逆に雑誌に乗るマンガというか紙に印刷される前提の漫画というのはコストがかかってるのだなあと思った。
きっと描いている人の画力とかじゃなくて、公開するまでにかけていいコストによる違いではなかろうか。
雑誌やコミックの作り方も電子媒体がデフォルトになって行くのだろう。というかもうなっているのかもしれない。
補足すると、これはあくまで商業ベースで商品を作る際の話。商業性を考えていない公開作品はそもそもコストの意味が違うのではないかと思うので紙媒体との比較が難しくなる。
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ふと思ったのだが、グーテンベルクが最初に聖書を印刷したときに「機械で簡単に作った聖書なんて心がこもってない」とか言われたのだろうか。
手作りとか一点物をありがたがる気持ちというのは、「作るための知恵とか工夫とか技術とかの総量」という漠然としたものを「作られた数」で割っちゃうから生じるのだと思う。
割るなよ。それは醜い独占欲だぞ。
知恵とか工夫とか技術とかの総量がどれだけかかっているいるかを重視するのは間違いじゃない。それを個数で割るのは「自分のためにかけられた分」を知りたいからだ。物の価値の判断に「私」を含めてしまうのは極めて卑しい行為だと思う。