昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

「これはペンです」と言われても何もすることはない

昨日は雨の予報だったので自転車を置いていったにも関わらず出勤時も昼にコンビニに行ったときもまったく雨に濡れなかった。今日は降水確率が低かったので久しぶりの自転車出勤。快適だ。

昼にコンビニに行ったときに雨にあたった。

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ピクトさん」という言葉が一部で間違って伝わっているような気がする。「非常口のマークの人 = ピクトさん」だと思ってる人をこれまで2〜3人見かけた。確かに非常口マークの人はピクトさんだが、すべてのピクトさんが非常口マークの人ではない。= じゃなくて ∈ または ⊂ だ。

「∈ または ⊂」としたのは「非常口マークの人」が個々の記号を指す場合は ∈ であり、あの記号全体の集合を指す場合は ⊂ となるからだ。日本語というやつは難しい、でも弱い。

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大多数のプログラミング言語に共通して = という記号は代入に使われる。つまり x = 3 というのは「x は 3 に等しい」ではなく、「x を 3 とする」という意味となる。「AをBとする」という言い方は代入ではなく仮定にも使われるので、より代入ぽく表すなら「x と名付けられた変数(箱だと思ってください)に 3 という数字を入れる」となる。一方、「x は 3 に等しい」は歴史上いくつかの書き方がプログラミング言語によって存在したが、今は大半の言語で x == 3 と表す。

f:id:motomachi24:20200911181418j:plain 余談だが x == 3 は「正しいか間違ってるか」しかなくプログラム上ではなにもできない。人間に向かって「これはペンです」と言っても言われた方は何もすることがない。「x == 3 が正しかったら〇〇をせよ」という命令があって初めてプログラムとして成立する。この「正しいか間違ってるか」の2つの値しか持たない「数」をブール値と呼ぶ。これが「数」であることは数学を齧ったことがある人にとっては自然に受け入れられることだが、あまり縁のなかった人には不思議に感じられるらしい。

さっきの「非常口のマークの人 = ピクトさん」も個人的には「非常口のマークの人 == ピクトさん」と書きたいところ。この場合「非常口のマークの人 == ピクトさん」は「偽(false)」という値を持つ数だ。

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業務で必要になって TypeScript という JavaScript から派生したスクリプト言語をちょっと使い始めてみた。近代的な言語に慣れた人が JavaScript に対して当然持つであろう不満が、かなり解消されている。ただし、もともと JavaScript しか使わない人にとってはあまりありがたみが無いかもしれない。個人的には JavaScript を使う機会がほとんどないせいか、TypeScript の方が断然読みやすい。

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「実は私」という言葉が恥ずかしくて使えない。「実は私」って言うからには相手は自分に対して違うイメージを持っているであろうということが前提となるからだ。ほとんどの人は私がどうであるかなんて考えたことがないだろう。自分に対する興味なんてよっぽど親しい人や自分のファンじゃない限りプラスでもマイナスでもなくゼロだ。

「実は私、ヒラメよりもカレイが好きなんですよ」と言われても「え!そうなんですか。いつもいつも『〇〇さんてどんな魚が好きなのかなたぶんヒラメが好きなんだろうな』と勝手に決めつけてましたよ、ごめんなさい」とはならないじゃないか。「実は私」が余計。

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昨日の古賀さんのブログで「半分つ」という言葉を初めてみた。なんか ubuntu みたいな響きだ。古賀さんの造語なのかと思ったら関東地方の方言らしい。どういうイントネーションなんだろう?