昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

2週遅れで放送される

今日もテレワーク。連休を除いても1ヶ月近くになる。道の発表次第で変わるかもしれないが、いまのところ今週末には通常勤務になる予定。昼食時にヒルナンデスを見る生活もあとわずか。

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こっちでは有吉反省会も2週遅れで放送されていることがわかった。タモリ倶楽部も同じくらい遅い。言いたかねえけど、こちとら約200万都市だぜ。そこらの市町村より遅いってどういうことよ?

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新型ウィルスの世界的流行に際し「日常でどんな対策がとられ、何に困り、テレビ番組どうなるか」という今の状況を的確に予想したフィクションはなかったのではなかろうか。あったなら話題になっているはずだ。未来のことを題材にすることが多いジャンルの作家はこれまでいくつかの作品は未来を的確に予想しているとか威張ってたりするが、このようなことは全然予想できてないのではないか。無力であることを自覚せよ。

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昼休みに部屋の本の整理をしていたら、全く同じギターの本が2冊出てきた。しかも10年くらい前に買ったのに、今日種類別に分けていて初めて気づいた。

最近物忘れがひどくなったと思ったら昔からだったようだ。昔から物忘れが多かったことを忘れていた。

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父から検査入院を終えて家に戻ったと連絡があった。肝臓を悪くしていたらしい。

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ラクマの本人確認完了の通知があったので、出品者さんに質問コメントを書いた。売却済みでなければいよいよ買おうと思っている。

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全然答えを望んでないんだけど、漫画家が〇〇先生と呼ばれるようになったのはいつごろでそれはどういった背景があるのか気になっている。しつこいようだが答えはいらない。おそらく漫画雑誌が「〇〇先生におたよりを書こう」とか「〇〇先生の作品が読めるのは〇〇だけ!」と言い始めたあたりにルーツがあるのだろうとは思う。

ただ、一般の読者が普通に「〇〇先生の作品が」みたいに先生をつけて呼ぶのが俺はどうしても苦手だ。控えめに苦手と書いたけど実のところ、その、えーと、あれだ。オンラインでそう呼んでる人を見ると警戒してしまうし、その人と漫画の話は絶対にしたくない。

蛇足だけど「漫画家が先生と呼ぶに値しない」というつもりはまったくない。そんなことを言い出したら「先生」をつけないすべての職業の人を差別していることになる、いや、いまの言い方が既に無職の人を差別していることになる。

筒井康隆がエッセイで何度も「先生」と呼ばれることを嫌っていたし、江口寿史が自分のことを自虐的に「先ちゃん」と読んでいた。先生と呼ばれたくない人のほうが多いんじゃないだろうか。