昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

イモ

マスクの使い分けが余儀なくされて、本気マスク、なんちゃってマスク、マナーマスク、勝負マスクと言った呼び方が発生するのではないだろうか。

イモネジってあんまり芋らしくないなと思って調べたら、イモムシネジの略だった。確かにイモムシなら似ている。ここで気になるのはイモムシは芋に似てるようでもあると言う点だ。だったらイモネジも間接的に芋に似ているのではないか。そこでついでにイモムシはなんでイモなのかを調べたら、サトイモやサツマイモの葉を食うからで、見た目が由来ではないと分かった。よってイモネジがイモに似てなくても安心して良いだろう。世界から不安がひとつ消えた。

ツイッターで有名人の発言が叩かれまくっているのを見ると「自分と違う意見の人や間違った考えを持ってそうな人に対する非寛容さ」が図らずも露見してることだなあと思ってしまう。そういう不寛容さも重要なのかもしれないが、それって「マイノリティに対する不寛容さ」と構造としては同じだ。「考えが違う」「あの人は間違っている」という場合に「だから嫌う」のは分かるが「だから叩く」というのは違うだろう。

「台湾は郵送ではなく国民全員にマスクが行き渡るよう計画的に渡した」と礼賛する人は、結果としてマイナンバー制度の強化を後押しすることになっているんだけど、良いんだろうか?それともマイナンバーがなくても実現できるはずという精神論で済ませるのか。

ドアレバーを手で持たずに肘で押し下げることが多くなってきた。コロナしぐさと名付けたい。いや、肘で押すのは意味がある行動なので、このような呼び方は相応しくない。別の呼び方の方がいいかもしれない。

下記リンクのいらすとやのイラストは、楽器がわりとおかしくなく描いてあるのだが一点残念なところがあった。ギターとベース(特にギター)のフレットの間隔が高音で広く低音で狭くなっているのだ。これは楽器を知らなくても理科や数学が身についていれば逆だとわかる。理科や数学って大事だ。

https://www.irasutoya.com/2018/10/blog-post_418.html

マスク2枚を各世帯に配布するのに約820円づつかかると聞いて「それを現金で配った方がまだまし」って言う人もいるらしい。振り込み手数料や人件費を820円から引いたら振り込み額がどれくらいになると思ってるのだろう。「まだまし」じゃなくて同じくらいまぬけな考えだ。

そのうち「各ドラッグストアはマスク販売時刻をランダムに指定されて、その時間以外に売ったら営業停止」くらいのドタバタが見られるのではないだろうか。すでに自主的にそうしている店もあるらしい。


もはや人類の敵はコロナなどではない、マスク不足なのだ!

老人たちは言う「コロナが怖くてマスクが買えるか」と。

彼らの家には毎日使っても死ぬまで使い切れないだけのマスクが蓄えられている。それでも彼らはうわ言のように繰り返す。

「まだ足りない、まだ足りない」


↑ 洋楽の訳詞のパスティーシュのつもりでふざけて書いたんだけどツイッターでちょっとだけいいねが集まってしまった。