昨日の泥

けれど夕陽はお前と仲間の髑髏を映す

ツグミ

昼に会社の近くで雀と鳩の間くらいの大きさの鳥を見た。ツグミだろうか。

罹患のことをラカンと言う人を笑う人もいらっしゃるようだが、俺は二択が覚えられないのでやっちゃうかもしれない。漢字ならいくらなんでも間違わないけど読み方なら危ない。「ラカンだと羅漢の方だから、そっちじゃないリカン」と頭の中で何ステップか必要になる。

他にもたとえば「汎用」もハンヨウなのかホンヨウなのか一瞬迷ってしまう「スピノザの汎神論がハンシンだからホンじゃなくてハン」を経由してやっと「ハンヨウ」と読むことができる。簡潔に言うと馬鹿だ。

あと存や在を単独でみたときにわからなくなりがちで「存在はコヅチ(子土 )だから在はザイ」ってやらないと分からない。簡潔に言うと馬鹿だ。

麻疹パーティみたいに「コロナパーティ」を提唱する自然派さんがそのうち現れるのではなかろうかと懸念している。まさかそんな人いないだろうと思うんだけど、まさかいないだろうという人が出現することは珍しくない。

あと、こちらは読んでる人が少ないので書いちゃうけど上の「自然派さん」という不自然な単語は意図的なもので、こういう文脈で使われがちな「自然派ママ」という言葉を避けるための苦肉の策だ。こういったちょっと揶揄した内容の時に、性別や年代が特定されるような言葉を避けている。でも世代批判をしたいときは意図的に使う。

語の途中に「ゴギ」が含まれる単語はデマゴギーだけ、というデマゴギーを思いついた。実際には「米子銀行」みたいな複合語ではたくさんありそう。ただし米子銀行は大昔の銀行で、昭和16年には松江銀行と合併して山陰合同銀行になっていたらしい。

花崗岩から出る微量の放射線がコロナに効く」という触れ込みで、その辺で拾ってきた石がメルカリで売れているらしい。さすがに冗談だと思ったものの、念のためメルカリで「花崗岩 コロナ」で検索すると山ほど石ほど出てきた。それなりに売れてる。

昨日のイボコロリも売れるんじゃないだろうか。